秩父札所巡り 4回目 23番 22番 16番 17番 15番 12番
前回、力尽きて22番までたどりつけず大野原駅に引き返したので、今回は23番→24番という巡礼古道ハードコースを回避し
バスで23番まで行き、22番から順に回って西武秩父駅に戻ることにしました。 時間があれば駅の先の12番も行く予定。
23番 音楽寺
駅から行くと登り坂がきついということで、バスで近くまで行きました。
れっきとした、西武観光の路線バスなのに、半ばコミュニティバスのよう。
運転手さんが
「途中で降りるときは、予め言ってください。その先のバス停までの運賃になります」
「バス停とバス停の間で乗るときは、手を挙げて。その手前のバス停からの運賃になります」
と車内アナウンス。フムフム。
バスはきつい上り坂をぐるぐると。回避して正解でした。
音楽堂から13権者像に登る道は雰囲気や景色が良いです。
秩父巡礼道を開拓したとされる十三権者の像。13番慈眼寺にも十三権者が祀られていました。尊敬されているんですね。
ここは音楽寺から少し登ったところにあって、22番へ続く山道もありますが、閉鎖中でした。
19番と20番の間の巡礼古道も閉鎖されていました。秩父ではこういうことがよくあるので、要注意です。
音楽寺の鐘は秩父困民党の蜂起を知らせるため力強く叩かれました。
私も、ひとつ撞いてして往時を偲びました。
22番 童子堂
童子のような仁王様が特徴的なお寺です。
一番の山道は通らなかったものの、バス道を縫うような歩道を下るのも結構きつかったです。
童子堂入口の目印の石仏。よく、秩父巡礼の写真で使われます。一つ手前に童子堂へ近道があったのですが、気づかないで通り過ぎたため、この像に辿りつけました。
茅葺きの山門が珍しいです。
観音堂の名前が童子堂でした。
本堂を新築したばかりで、賑わっていました。
裏に、「日清・日露から太平洋戦争まで、檀家が多数出征したが、一人の戦死者も出なかったのは、観音様のおかげ」という趣旨が書いてありました。
秩父の寺はいわゆる祈祷寺{観光寺ともいう)でなく、檀家を守り檀家に守られているお寺だと、感動。
16番札所 西光寺
22番童子道からは、秩父公園橋を渡らず、その下をくぐる小さな橋を渡りました。
渡ってまっすぐ行くと、スーパーベルク。
イートインで。冷茶のみ放題。
ベルクの通常ですが、お接待受けた気になり、ベルクのファンになりました。
しばらく歩くと、西光寺。
秩父夜祭の山車の車輪と酒樽大黒が印象的でした。
次は名物わへいそば。クルミたれで食べて、秩父名物味噌ポテトも!
イメージキャラにまでなっている味噌ポテト。
クルミそば食べたあと、ペロリ。
いくら歩いても痩せません(´;ω;`)
17番定林寺
言わずと知れた?アニメ『あの花』の聖地。
でも、これでしょ。
江戸時代の、百観音の御本尊が刻印された梵鐘。
行けなくても百観音巡りの功徳がほしい気持ちがひしひしと。
15番少林寺
15番少林寺は西武秩父駅の近くで線路の東側にあるお寺でした。
秩父困民党を鎮圧しようとして殉職した二人の警官のお墓と山県有朋撰文の追悼碑があります。
それに対抗するかのように
秩父困民党は暴徒ではない
という秩父市教育委員会の看板が立っていました。
次に14番今宮坊に行くと12番野坂寺へ行く気力が阻喪すると思い
最後の力を振り絞って12番へ行きました。
12番 野坂寺
14番今宮坊に行かず、12番野坂寺へ。
暑くて、普段の二倍の距離に感じます。
帰りに今宮坊に行く体力・気力は果てていました(´;ω;`)